2008年04月15日

ジョーク

昔一度誘拐されたことがある。ある日校庭の前で立ってたら、黒いセダンが停まった。二人の男が車から出て来て僕に言ったんだ。「好きなオモチャがいくらでも手に入って、お菓子もいくらだって食べられる素敵な所に一緒に行かないかい。」当然、「行く」と言ったさ。その週は一週間大学から里帰りしていたんだからね。

彼らは車で僕を連れ出し、身代金を要求する手紙を書いた。うちの親父は物を読むとき、変な癖があって、夜寝る前にベッドでその手紙を読んだんだ。半分読んだら眠たくなって寝てしまったんだ。手紙はほったらかしさ。

その間、僕はニュージャージーのとある家で手を結わかれて、監禁。

両親はやっと僕が誘拐された事に気がついて、素早く行動に出た。僕の部屋を貸しに出したんだ。

身代金の手紙には、親父にニュージャージーの切り株の中に千ドル入れとくようにと書かれていたんだ。千ドル集めるのは問題なかったけど、ヘルニアでニュージャージーまで切り株を持っていけなかったんだ。

FBIが家を包囲した。

FBI「子供を解放しろ! 銃を捨てて、両手を上げて出てこい。」

誘拐犯「子供は解放するが、銃は持ったまま俺たちの車まで行かせろ。」

FBI「子供を解放しろ。お前達の車まで行かせてやる、銃はこちらに渡せ。」

誘拐犯「子供は解放する。銃は渡さない。車まで行かなくていい。」

FBI「子供はいらない。」

FBIは催涙ガスを使ってあぶり出そうと考えたが、あいにく持ち合わせてなかったので、何人かのエージェントが「椿姫」の死ぬシーンを演じてみせたんだ。

誘拐犯は泣きながら出て来たんだ。

ウディ・アレンのモノローグでした!

英語のジョークって翻訳すると本来のギャグが伝わりづらいですね。





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2008年04月01日

映画考察(撮影)

映画は奥が深い。なぜ奥が深いのか。簡単に言うと映画の中には様々な要素が入り交じっているからだろう。撮影、録音、音楽、演出、編集、演技、などなど。そしてそれら様々な要素が絶妙に噛み合った時にだけ、魔法が起きる。映画が総合芸術だと言われる所以だ。

例えば撮影。多くの映画ファンはその映画の撮影監督が誰かなんてほとんど気にしない。ただ、ジュリア・ロバーツをジュリア・ロバーツたらしてめているのは、他でもない撮影監督と言っても過言ではない。

昔、元阪神の江本さんが出した「プロ野球を10倍楽しく見る方法」なんて本があったけれど、もし「映画を10倍楽しく見る方法」って言う本を出すなら、その内の一章は撮影にさかれるべきだと思う。

撮影監督によっては、それぞれに確固たるスタイルやルックを持っていたりする。(監督の意向によってそれらのスタイルは維持されないケースもあるが。)

私が個人的に昔から好きな撮影監督にオランダ人のロビー・ミューラーがいる。不思議なもので、ある時、好きな映画を撮影監督が誰かを知らずにランダムに上げていくと、その内の多くの撮影監督がロビーだった。

彼の代表作は「アメリカの友人」、「パリ・テキサス」、「ミステリー・トレイン」、「バー・フライ」、「奇跡の海」、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などなどである。これらの映画をご覧になった事がある方ならきっと、彼の撮る映像にある種、一貫性というか、スタイルがあるのを感じられるのではないだろうか。

彼のルックを象徴する映像がある(私の頭の中に)。彼のシグネチャー”ルック”とでも言おうか。アメリカ南西部、場末のガススタンドとかそういった所。ちょうど日が暮れかかった頃、建物の壁は緑白くホワッと蛍光灯の光が反射して、背景の空は赤オレンジのグラデーション。

できる事なら上で上げた映画を実際に見ながら、「ほらっ、ここ見て!」「う〜痺れる。カッコえーやろー」とか言いながらロビー・ミューラー論を語りたいくらいである。

しばらく前にオダギリ・ジョーが出ていた「ゆれる」という邦画を見た。オープニングから痺れさせてくれた。画作りが正にロビーのそれのようだったからだ。そして確信した。監督、もしくはカメラマンは絶対に彼(ロビー)の撮影にインスパイアされているはずだ、と。

こんな繋がりを映画と映画に発見すると、それはもう映画をみる楽しみが広がるはずです。

ロビー・ミューラー

PS:お酒が好きな方、是非「バー・フライ」ご覧下さい!特にオープニング、痺れます。


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2008年03月18日

フィッシャー・キング

またまた古い映画の話。ペンギンフィルムのブログなのに、関係ない事ばかり書いてると奥さんに怒られそうだが、いかんせん書く事が浮かばない。

で、「フィッシャー・キング」です。監督は奇才テリー・ギリアム。アメリカ人なのに、イギリスに渡り、モンティ・パイソンのメンバーとして活躍。映画監督としてデビューしてからは、「未来世紀ブラジル」、「12モンキーズ」など数々のファンタスティックで奇想天外な映画を世に送りだしている。爆笑問題の太田氏も彼の映画が大好きなよう。以前、サンデージャポンで太田氏がギリアム監督にインタビューする時に、必要以上にテンションが上がっていたのを見て、リスペクトの高さが伺えた。

彼は表現のためなら戦う事を辞さない監督としても有名で、上記の「未来世紀ブラジル」のエンディングを巡っては、ハリウッドの大物プロデューサーを相手に大バトルを展開し、その一部始終が「バトル・オブ・ブラジル」という本になった事も知られています。

そのギリアム監督が1991年に監督した映画が「フィッシャー・キング」です。ここではあえてストーリーなどは書きません。ただ、映画の中で主人公の一人が語る、映画のタイトルにもなっている「フィッシャー・キング」のお話をしたいと思います。このある種”おとぎ話”が映画全体を象徴しているのですが。。。

「その話は王様が子供の頃から始まります。少年(王様)は自分の勇気を示し王様になる為、ある晩一人で森へ行きます。一人森の中で夜を明かしていると、彼は聖なるビジョンを見るのです。

炎の中から、神の恵みを象徴する聖なる杯が現れ、一人の男の子が彼に言います。この聖杯を取り、世の人々の心を癒しなさい。しかし王様は偉大な生命の力と美にあふれたそのビジョンに圧倒され、目がくらんでしまいます。驚嘆の中、フト一瞬我を失い、自分はただの少年ではなく、神のように無敵な存在なんだと錯覚してしまうのです。そして炎の中に手を伸ばし、聖杯を取ろうとしますが、聖杯はあっけなく消え、伸ばした手は炎で火傷を負ってしまいます。

少年が成長するにつれ、その傷はどんどん深くなっていきました。それとともに、次第に彼は生きる意味も失っていきます。誰も、自分すらも、人を信じられなくなり、愛する事も、愛を感じる事もできずに彼は"死に始めた”のです。

そんなある日、ある愚か者がお城にやってきて、王様が一人でいるのをみつけます。単純で愚かな男は、別にそこにいる男を王様だとは思いません。ただ、男が一人苦しんでいると思ったのです。愚か者は王様に、おいあんた、どこが悪いんだい?と尋ねます。王様は、私は喉が渇いています、喉を潤すために水が欲しいです、とこたえます。愚か者は王様のベッドの横にあったカップを取って水を入れてあげます。王様はその水を飲むと、自分の傷が癒えていくのに気がつきます。さらに、手にしていたカップが、自分が一生涯探し求めていた、あの聖杯である事にも気がつくのです。王様は驚いて愚か者に尋ねます、最も聡明で勇気ある私に探せなかった聖杯を、なぜお前は探す事ができたのだ?愚か者は応えます。さぁわかりません。私はただあながた喉が渇いてることしかしりません。」

いい話だと思いませんか?

是非映画もご覧下さい。

フィッシャー・キング
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2008年03月13日

ウディ・アレン

今日は何を書こうか〜、何か気持ちが塞ぎ気味だから、逆に面白いことを書きたいな〜などと考えていたら、このブログを始めてからというもの、一度もあの人の名前が出ていない事を思い出しました。あの人とは、私が最も敬愛する映画人と言っても過言ではない、ウディ・アレンです。

そもそも皆さんウディの事はご存知ですか?アメリカが生んだ名コメディアン、劇作家、俳優、映画監督です。彼が監督した名作を上げればきりがありません。アニー・ホール、マンハッタン、カイロの紫のバラ、重罪と軽罪、等々。

中学、高校時代によく聴いていたFM番組に、小森のおばちゃまがパーソナリティーをされていた「スクリーン・ミュージック」というのがありまして、ある時、この番組の中でおばちゃまが映画「ハンナとその姉妹」の話をしてくれたのです。おませ+映画に飢えていた私は、即観に行き、自分はもう、その一本でウディの描くニューヨークの世界観にイチコロでした。古いジャズのBGM、おとしめのライティング、大人の恋の話、アメリカンジョーク等々。以来、約1〜2年に一本作られる彼の新作は欠かさず観ております。

初めてニューヨークを訪れた時には、毎週月曜の夜に彼がクラリネットを演奏する事で有名だった”マイケルズ・パブ”に行き、演奏の後にサインを貰いました。今でもうちの工房に飾ってあります。私の宝物です。

彼の映画の中には、劇中のキャラクターのセリフを介して語られる彼の哲学がちりばめられています。フロイトなどの心理学者に傾倒する彼の考えは、一見ただのジョークかと思いますが、とても深い人間洞察の上に成り立っていると思われます。そして、ものすごいペシミスティックにもとれるそれらの言葉は、あまりにペシミスティック過ぎて逆に面白くなっちゃう、というか逆に気が楽になってしまうんです。

という訳で私が大好きなウディの話を紹介しますね。

「僕はとても悲観的な人間なんだ。これから僕と付き合うなら、良くわかっといた方がいいよ。例えば世の中は悲惨な連中と哀れな連中に分けられると思ってる。悲惨な人々は主に不治の病や障害を抱えているようなひとたち、わかるよね。それで哀れな人たちは、それ以外の全員さ。だからもし君が哀れな方だったら感謝しなきゃダメだよ。哀れなのはとてもラッキーな事なんだから」

そうか、今の自分はかなり哀れな気分だけど、それはラッキーなことなんだ〜、と、なんだか案じにかけられちゃう感じでしょ。でも実際そうかもしれないと思いません?人生、生きてるだけで大変だものね。

ウディの映画にはこんなウディ流、人生学、人生論が満載です。まだ観た事がない方は是非一度ご覧あれ。

ウディ・アレン
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウディ・アレン
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2008年02月29日

ジェリー・マグワイア

ことあるごとに戻ってくる映画がある。「ジェリー・マグワイア(邦題:ザ・エージェント)」もその内の一本。とにかく公開当初から大好きな映画です。今までに何回この映画を見たか知れません。主人公はトム・クルーズ演じるスポーツエージェント、ジェリー・マグワイア。彼らエージェントの仕事はプロのスポーツ選手に成り代わり、チームとの契約やビジネス面でのやりとりを代行する事です。

ジェリーは大手スポーツエージェント会社に勤めるやり手のエージェント。ただ気がつけば、他の多くのエージェントがそうであるように、自分も顧客であるスポーツ選手達を単なる金儲けの道具のように扱い、自分が最も嫌いな人間に自分自身がなっている事に気がつくのです。あるとき出張先のホテルで急に思い立ち、彼はこれまでの考え方を一新する「声明文」を一晩で書き上げます。そしてそれを発端に彼の人生は急展開していくのです。

監督は「エリザベス・タウン」や「あの頃ペニー・レインと」を手がけたキャメロン・クロウ。素晴らしい監督です。元々音楽雑誌の草分けローリングストーン誌のライターをしていただけに、サウンドトラックの選曲は絶妙です。「あの頃ペニー・レインと」は監督の半自伝的物語です。

人生に行き詰まったり、疲れたり、迷ったり、そんな時に見ると、確実に元気をもらえる、そんな映画です。また特に何の問題がなくても見れば清々しい気分になれるはずです。

ザ・エージェント



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2008年02月23日

「アニー・リーボヴィッツ」

今日は昨日に引き続き映画評です。大学時代は毎日のように映画に関するエッセイを書いていたのですが、ここのところそんな機会もなく、映画を見ながら自分が感じた事を、後から振り返って文章にする作業っていうのは、思いのほか大変な作業だなと感じました。というか自分の思いを文章にする事自体、なんて難しいことなんだ〜とここの所実感しています。

まぁ、それはそれとして、「アニー・リーボヴィッツ」です。私が彼女の写真を、彼女の写真として最初に意識したのは、サンフランシスコでまだ学生をしている頃でした。当時とても仲良く、毎日の様に遊んでいた、T君のアパートででした。

彼は友人であると同時に、最初にアートや写真の面白さの手ほどきをしてくれた、芸術の師匠みたいな人です。彼のアパートは、とにかくそういった方面に興味津々の自分にとって、まるでおもちゃ箱のようでした。ベッドの脇に合ったクローゼットの中にはたくさんの、おそらく古本屋で買ってきたであろう、写真集やアートブックが積んでありました。そんな中の一冊がアニー・リーボヴィッツの写真集だったと記憶しています。なんと見る物を惹き付ける写真を撮るんだ!と感心したのを覚えています。

アニー・リーボヴィッツ プロフィール

さてさて前置きが長くなってしまいましたが、肝心の映画の話です。監督はアニーの実の妹さんで、彼女は彼女でしっかりとドキュメンタリーフィルムメーカーとしてのキャリアを積んで来た方だそうです。凄い姉妹ですよね。こういうのを聞くと、やはりDNAとかってあるな〜って思います。色々と賞とかも取っていらっしゃるようです。

で、映画の率直な感想です。確かにアニーは凄い!って感じなのですが、できればせっかくなんで、彼女が何気なくご飯食べてるとこ、とか、ドライヤーで髪の毛乾かしてるとことか、そんな彼女のオフな瞬間をたくさん見たかったです。

でもそれはあれだけ詰め込まれた映画に対して、ちょっと贅沢な要求かもしれません。それか、彼女はあまりに忙し過ぎて、そんなにゆっくりとご飯食べたりしてないのかもしれません。

今でこそ世界中のセレブ御用達の写真家ですが、彼女は元々音楽雑誌の草分け「ローリングストーン誌」の専属カメラマンだった人です。それも創刊して間もない一番生きががいい頃のです。1960年代のサンフランシスコ。もしドラエモンがタイムマシーンでどこえでも連れて行ってくれるなら、1967年のサンフランシスコに行きたいと思います。Love&Peace全盛のSF。考えるだけでワクワクします。

映画の中に、アニーが当時世界ナンバーワンロックバンドとして君臨していたローリングストーンズの全米ツアーの同行取材をすることになる話がありますが、その頃を想像すると臨場感たっぷりでとてもエキサイティングです。ただ、編集長はアニーに、あんな奴らについてったらきっとひどい事になるから絶対やめろと言うのです。彼女は結局行ってしまうのですが、編集長の案じた通りドラッグにはまって、リハビリ施設に入る羽目になっちゃうのです。でもそこまでしてでも、バンドのメンバーと一体になる、というのが彼女の撮る写真の秘密の一つなんですね。被写体が写真を撮られている事を意識しなくなるくらい場になじんでしまう。でもドラッグにはまらなくてもね〜。

とにかく彼女の生き様、凄すぎです。ちょっと喝が入ったかもしれません。

「アニー・リボヴィッツ レンズの向こうの人生」オフィシャルサイト

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2008年02月22日

「潜水服は蝶の夢を見る」

以前、アーティストの村上隆さんのPodcastingを聞いていたら、
この映画の事を大絶賛していたので、とても見たいと思っていました。

実話の映画化で、監督は、今までに「バスキア」や「夜になるまえに」
などを撮った、アメリカ人でありながらヨーロッパの香り漂う作風の
ジュリアン・シュナーベル。彼自身もアーティストで、生前のバスキア
とは友人だったそうです。

あらすじを簡単に言うと、フランスのファッション誌ELLEの
編集長、ジャンが突然42才の若さで脳梗塞に倒れてしまいます。
彼の全身はまるで潜水服にでも閉じ込められてしまったかのように
麻痺してしまい、唯一動かせるのが左目だけ。華々しいファッション業界
で活躍し、人生を謳歌していた彼は、今までの人生とのギャップに苦しみ、
希望を失いそうになるが。。。というものです。

とてもいい映画でした。映画の冒頭からしばらくは、脳梗塞に
冒された彼の目線の映像です。ぼんやりとしてピントが合ったり、
合わなかったり、光もぼやけています。ただ、この映像がとても
淡く、優しい光に包まれいるように感じられ、決して不快では
ないのです。冒頭だけではなく、全体を通した撮影の美しさは
秀逸です。それもそのはず、撮影監督は「プライベートライアン」
をはじめとする多くのスピルバーグ作品やキャメロン・クロウの
「エージェント」など多くの素晴らしい作品を撮った、
ヤヌス・カミンスキーです。余談ですが、彼は以前女優のホリー
ハンターさんの旦那さんだった方です。

演出によっては、単純なお涙ちょうだいものになりかねないところ、
主人公をはじめとする、主要キャラクターの心の機微を繊細に、丁寧に
淡々と描き、時間が経つほどにジワーと染込んでくるような、そんな映画です。

主人公のこんなセリフがとても心に残ります。
「記憶と想像力があれば蝶のように自由にはばたくことができる」

彼のように体に不自由がなくても、心が雁字搦めになってしまっている
人がこの世の中にどれだけいるのでしょう。。。

人生には色々な事が起こります。同じ事でもどうとらえるかで、
いいようにも、悪いようにも、いかようにもなるのに。

目を閉じて想像すれば、サハラ砂漠にでも、南太平洋の島にでも、
どこにだっていけるし、会おうと思えば疎遠になってしまった友人にも
会える。

人に与えられた最強、最大の力は想像する力、そんな事を再認識
させてくれました。

「潜水服は蝶の夢を見る」オフィシャルサイト



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